一級建築士資格独学散歩道

一級建築士資格取得までの道のりを散文的に綴ります。

旧岩崎邸庭園に行ってきた

 最近は建築に関する書籍を積極的に読むようにしている。特にこだわりはない。図書館に本を借りに行ったときにたまたま目についた本を手に取って読み、そして気に入ったら借りてくる。今回は「日本建築集中講義」という本を借りた。藤森輝信という建築史家と山口晃という画家との共著である。画家と言いながらもこの本のイラストを描いている。とにかく絵が多いので借りることにしたのである。文体も相当砕けており到底大学の教科書とはなりえない。そして、建築の背景を藤森先生はちゃんと語ってくれるのである。建築史の本を読むとすぐに眠くなるという方には是非お勧めしたい。
   さて、この本に登場する建築は国内のそこそこ歴史の古い建築13邸。主に神社仏閣住宅であるが、その第3回目が旧岩崎邸であった。この項を読んだ翌日に私は上野公園東京都美術館(1975年前川國男設計)に出かける用事ができて、その道すがら旧岩崎邸庭園に向かうことにしたのである。
 場所は不忍池の西、東大の敷地に接した一角にある。予備知識はこの本で獲得できているので道に迷うことはない。すぐさま入館料金400円を支払い、邸宅の前面を写真でパチリと撮る。まるで儀式であるかのようにほとんどの来館者はそうするのである。
 エントランスにはドーリア式を模した4本の柱が建ち、しかし近くで見ると塗装が捲れているではないか。1896年(明治29年)に築造、かれこれ122年の歳月を過ぎているのだから致し方あるまい。
 エントランスでは係りの方がビニール袋を手渡してくれる。これは靴をいれるためのものである。洋館といっても当初から土足厳禁であったらしい。見学の順路には赤い絨毯が敷かれている。順路に沿って歩くのであるが、とにかく寒い。底冷えがするのである。ガイドの方の話によると、当主はこの底冷えに相当困っていったらしい。中にいると、現在でも相当に寒いそうだ。
 
 室内はとにかく装飾が多い。この岩崎邸はイギリスの建築家ジョサイア・コンドル(顔立ちは鳥っぽいがしかし頭脳明晰な人、という風に覚えている)の設計によるものである。西洋建築であるから各所に彫刻が施され、そして壁にもエンボス加工が施されている。このエンボス加工された壁紙を金唐革紙(きんからかわかみ)という。たいそう高価であるらしい。思わず指先で触れてみたくなるのだが、館内は「撮影禁止」「手を触れないでください」という忠告が至る所に貼ってある。その代わり感触を確かめるための模造品が展示してある。やはり凹凸は思わず指で触れたくなるというのが人情なのであろう。

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 館内の順路に従って歩くと、やがて2階への階段にたどり着く。その欄干には過剰なほどの装飾が施されており、西洋の空気を漂わせるのである。階段を登り切ったその右側には、これまた装飾が施されたガラリのようなものがある。近くにいた係員か警備の方に「このガラリのようなものは何でしょうか?」と聞くと、中にスチーム暖房が隠されているという。ついでなので、室内の暖炉がガス式になっている理由を尋ねる。「ガス式にしたのは途中からです。最初は普通の暖炉であったのですが、ガスが引かれた時に煙突の穴を塞いでガスに変えたそうです」と、答えが返ってきた。それで現在のような奥行きのない、薪をくべる部分をふさいだ暖炉に変わったということらしい。

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 洋館から和館へは渡廊下で繋がれている。この渡り廊下から先は、当時の岩崎家の生活空間であったそうだ。つまり、洋館はあくまで来客用であったらしい。商社として海外との取引が多かったのであろう。
 和館では全くの日本建築に空間が変わる。床の間のある20畳ほどの和室には、当時の図面が展示してある。当時の図面は巻物に展開図が描かれていたようだ。巻物は全長24mというから相当なもである。そこには展示中の部屋の展開図が開かれていて、実際の完成品と図面とを見比べることができる。
 さて、その部屋を出て少し奥へと進むと、なぜか一角が喫茶コーナーになっている。看板があり「小岩井農場」と描かれてあった。はて、なぜこんな所に小岩井農場が、と思い後から知った内容では、実はこの岩崎邸を建てた岩崎久弥が小岩井農場創業者の一人であるという。そもそも小岩井の「小」は「小野」、「岩」は「岩崎」、「井」は「井上」である。この三人が共同で岩手に牧場を作ったのが小岩井農場のはじまりである。そもそも小岩井農場の本社は三菱のビルに入っているのだ。
 
 ところで当日ガイドの方が面白い話をしていたので紹介したい。そもそも戦前に建てられた岩崎邸が関東大震災にも東京大空襲にも耐えることができたのはなぜか。まず、関東大震災に対してはこの邸宅がそれなりにしっかりとしたつくりであったからだそうである。そして、東京大空襲の時は、すぐ隣に東京大学がありアメリカ軍は図書館などの被害を与えないため爆弾を投下しなかったらしい。と、この話をしたうえで、ガイドの方は持論を述べだした。おそらく、米軍は日本が負ける前提で空爆当初から自分たちが駐屯する場所を残したのではないか、ということである。
 もしこれが本当なら米国人らしい実に合理的な考え方である。建築は合理の塊である。そしてこの岩崎邸は実に合理的な造りになっている。ただし、底冷えするのはなぜかという疑問に対しては、答えを得ることはできなかったのである。
 
※追伸です。前回のブログに書いた一級建築施工管理技士の試験はおかげさまで合格いたしました。

 

藤森照信×山口晃 日本建築集中講義

藤森照信×山口晃 日本建築集中講義